対偶の真偽は元の命題の真偽とホントに一致してますか?

数学のお話です。

命題と対偶

数学奇人

命題

数学で言う「命題」とは、正しいか間違っているかがはっきりと断定できる文章のことです。

例えば、「平成28年は西暦2016年である」は、正しいとはっきり言えますから、命題です。

「月曜日の次の日は木曜日である」は、間違っているとはっきり言えますから、命題です。

「空は青い」は、晴れの日の空は青いかもしれませんが、曇りの日はグレーですし、そもそも夜は黒ですし、朝夕は赤かったりします。正しいのか間違っているのかが状況によって変わりますので、これは命題ではありません。

否定

条件Aの否定は「Aでない」です。

「痛い」の否定は「痛くない」ですし、「厳しい」の否定は「厳しくない」です。

国語で言う対義語とは違います。

対偶

命題「○ならば△である」に対して、「△でないならば○でない」を対偶といいます。

「○ならば△」を \circ \Longrightarrow \triangle と書くのですが、対偶は矢印の左右にある条件を両方とも否定して、矢印の向きを逆にすることで得られます。

対偶の真偽は元の命題の真偽に一致

この内容って、高校の数学で学習するんですよね。

数学の教科書には、「対偶の真偽と元の命題の真偽は一致する」と書かれています。

まあ、確かにそうなんです。背理法の特別な形ですから。

ホントに真偽は一致するの?

こんな状況を考えてみました。

こら、ぜんじ!またケンカして来たっちゃろ
はよ、断わりばゆうてきんしゃい!はよ!
ごめぇ~ん

このあと、家に帰ってきたぜんじにお母さんがお説教。

あんたは勉強もせんと遊びまわってケンカばっかりしてから!宿題は終わっとうとね!?
ごめぇ~ん
ほんっとにあんたばっかりは!怒られんと勉強せんっちゃけん!

※「勉強せん」は「勉強しない」という意味です。

これですよ、これ。つまり、ぜんじくんについては「怒られないならば勉強しない」という命題が真なのです。

この命題の対偶は「勉強するならば怒られる」となります。

これって、おかしくないですか?

答えは次回の講釈で。