まずは、ぜひ引用元の記事を読んでみてください。あ、ポルノといっても、エッチな写真とかそういうのは出てきませんのでご安心を。
乱暴なタイトルだが激しく共感
障害者は「感動ポルノ」として健常者に消費される–難病を患うコメディアンが語った、”本当の障害”とは
私たちが障害者の姿に感動しているのは、心のどこかで彼らを見下しているからかもしれません……。昨年12月に亡くなったコメディアン兼ジャーナリストのStella Young(ステラ・ヤング)氏は、従来の「気の毒な障害者」という枠を破った率直な発言で人気を集めました。健常者の感動を呼ぶために障害者を取り上げる風潮を批判し、障害者問題に対する社会の理解を求めました。(TED2014より)
引用元: 障害者は「感動ポルノ」として健常者に消費される–難病を患うコメディアンが語った、”本当の障害”とは | ログミー[o_O].
私はこの記事を読んで、激しく共感しました。全面的に支持します。
私たちが障害者の姿に感動しているのは、心のどこかで彼らを見下しているからかもしれません
この言葉は、引用元の記事の冒頭に書かれている言葉です。この1行を読んだだけで、今まで胸がつかえていたのが音を立てて流れていく気がしました。
私は、毎年夏休みの終わりくらいに某テレビ局が大々的に行う一日中テレビ(仮名)が大嫌いです。障害者を見世物にし、見下し、「感動」などとほざいているあの番組が大嫌いです。
できないことを常人レベルでわざわざやらせて何が感動だ
聴こえない人に、音に合わせたダンスをやらせる。歌を歌わせる。
見えない人に、山を登らせる。海を泳がせる。
そんな企画に乗っかって、やる方もやる方だが、その様子を全国に放送し、お茶の間の皆さんに「感動」を強要する。
「聴こえないのに、あんなに上手に踊れるなんてすごい」
「見えないのに、あんな危険な道を歩くなんてすごい」
これって、完全に見下してませんか?ちょっと変換すれば、はっきりしますよ。
「聴こえないくせに、あんなに上手に踊れるなんてすごい。まあ、俺は聴こえるからできるけど。」
「見えないくせに、あんな危険な道を歩くなんてすごい。まあ、私は見えるから楽に歩けるけど。」
どうですか。「すごい」という台詞は、自分にはできない、常人にはできないことをやってのけた人に対して使う言葉ですよ。
自分ができることを他の人がやったとき、「すごい」と発するのは、見下し以外の何でもありません。
体が不自由なのに頑張っている人がいる。私だって・・・
こんな言葉、よく聞きますよね。学校でもよく使われます。とんでもない話です。「自分の人生は上手くいっていないけど、もっと大変な人もいるんだ。」ですよね。それって、障害者は健常者を勇気づけるために存在してるってことですか。
「あんなに勉強ができない子だって頑張ってるんだから、俺も頑張ろう。俺は奴より勉強できるから」って言ったら、怒られるんですよね。でも、「勉強できない子」でなくて「障害者」なら感動話になるんでしょうか。
「あんなに不細工な子だって、アイドル目指して頑張ってるんだから、私も頑張ろう。私は奴よりかわいいから」って言ったら、怒られるんですよね。でも、「不細工な子」でなくて「障害者」なら感動話になるんでしょうか。
おかしいでしょう。それを、堂々と公共の電波使ってやってるのがあの番組です。
あの番組を否定すると悪者扱い
またやっかいなことに、あの番組は神格化してて、あの番組のやってることを悪く言うと、あっという間に悪者になれます。それだけ世間へのマインドコントロールが浸透している証拠ですね。
あの番組を丸1日分作るのに、50億円かかると聞いたことがあります。丸1日掛けて集まった募金が2億円とか言って喜んでます。じゃ、番組作らずに、その50億円を募金すりゃいいじゃんって思うんです。
1日中マラソンしたり、1日中テレビに出っぱなしのアイドルや芸人には、きちんとギャラが支払われているそうです。そのことは否定しません。働いた分の対価をもらうのは当然です。
ただ、そのギャラはステージの上でお渡ししてはいかがでしょうか。きっと、心のきれいな方々ですから、全額募金なさると思いますよ。どのくらいもらってるのか知りませんが。
障害者を特別視しない
障害のある人たちは、健常者に比べて不便な場面があることは否定できない事実です。そのような場面で、助け合うことは人として大切なことです。しかし、そうでない場面において、障害のある人たちを特別視することはおかしなことです。
気付きましょう。障害のある人は、「かわいそう」と思われるべき存在ではありません。「不便なのにすごい」と思うのは健常者の思い上がりで、見下した考え方です。