ホリエモンこと堀江貴文氏の発言が、切れ味抜群です。
努力した者が報われる社会を否定するのは違う
ズバリですよね。まさに「我が意を得たり!」ですよ。
以前から「格差が広がる」とか「格差社会が」とか、そんな言葉を聞くたびに違和感しか感じなかったんです。でも、その違和感をうまく伝える言葉が見つけられなくて。
格差とは
そもそも、「格差」ってなんでしょう。
格差(かくさ)とは、同類のものの間における、程度(水準・資格・等級・価格・格付け、レベル)などの差や違いである。また、社会問題の一つとしての意味合いを込めても用いられる語であり、貧富の差(経済格差)などを意味しても用いられる。
https://ja.wikipedia.org/wiki/%E6%A0%BC%E5%B7%AE
「同類のもの」の間の程度の「差」ですよね。
喩え話を考えてみた
A君は毎日寝る間も惜しんで勉強し、努力し、頑張った結果、期末テストで1000点満点のうち950点を取って学年で1番になった。
B君は毎日寝る間も惜しんで友達と無駄LINE、ゲーム、カラオケとサボりまくった結果、1000点満点のうち100点にも満たず、赤点のオンパレードになった。
Cさんはその日、自分の見たいコンサートがあったが、仕事を優先して働いた結果、報酬の1万円をもらった。
Dさんはその日、自分の見たいコンサートにでかけ、満喫し、満足した結果、入場料の1万円を支払った。
E選手は血のにじむような努力をし、精進して、ついに念願の世界チャンピオンになった。
F選手は知恵を絞ってなんとか練習をサボる方法を考え、手を抜き、力を抜き、予想通り予選の1回戦で負けた。
こういうことですよね。
スタートと条件
もちろん、スタートと条件が同じで、それに対して他の要因で差がついて、不当に不利益を被る格差は問題があると思うんです。
でも、格差格差と騒いでいる多くの場面においては、それは違うんじゃないか、と。
報われていない人が努力をしていないかどうかは別として、努力をして勝ち取った人が報われているのを否定するのは全く違うでしょう。
差がつくことは決して悪ではない。むしろ、差がつかないほうが悪ですよ。
努力してもしなくても報酬が同じだったら、誰が努力するんですか。でしょ。
ホリエモンすごい
堀江貴文氏って、いろいろとやらかしてくれますよね。言葉の使い方はキツイし、様々なところで批判も多い。
ただ、思想云々等は抜きにして、本当に頭がいいんだと思います。
勉強ができることと頭がいいということは違います。
聞こえてくる言葉に対して違和感を感じたとしても、それを頭の中できちんと整理して、相手にわかる言葉で説明することってすごく難しいんです。
それを、的確にポイントを押さえてズバリと言い切るっていうのは、「頭がいい」ということなんです。「傾聴」「理解」「発信」のスピードがすごく速いんです。
やっぱりホリエモン、すごいですね。