学校の先生って、授業をするんです。当たり前ですけど。
アクティブラーニング
最近、授業のあり方について話があるときは、とにかく「アクティブラーニング」。こればっかりです。
「授業改善」とか「授業改革」とか。授業をアクティブラーニング化することが「改善」であり「改革」なんだそうです。
アクティブラーニングとは
アクティブ・ラーニング(Active learning、アクティブラーニング)は、学修者主体の学習手法の一つであり、学修者が能動的(アクティブ)に学修(ラーニング)に参加する学習法の総称である。
最近の日本(特に学校教育を司る文部科学省)で、いわゆる知識詰め込み+問題練習(演習)授業では「新しい学力観」の目指す「自ら学ぶ力」をつけることができないという反省から、推進されている。
Wikipedia アクティブ・ラーニング
従来の教師が黒板に向かってチョークで書き、しゃべり、教える授業ではなく、生徒たちが能動的に動き、考え、自らの力で問題を解決するように働きかける授業形態です。
アクティブラーニングを実践することが正義。従来型の授業をする教員は悪!みたいな雰囲気をひしひしと感じます。
アクティブラーニングの何が良いのか
アクティブラーニングが推奨されるようになって、そんなに長い時間が経ったわけではありません。
なのに、猫も杓子もアクティブラーニング。アクティブラーニングを実践し、発展させることが大前提になってます。
でもね。アクティブラーニングって本当にいいんですか?どのくらい効果があるものなんですか?どんな実績があるんですか?
実は、そのあたりが全く検証されていないんですよ。検証することもなく、アクティブラーニングをすることが目的になっちゃってます。
ゆとり教育の教訓を忘れたか
日本は、「ゆとり教育」という闇の10年間を経験しました。
本当に良いものなのか、本当に効果があるものなのか、分からない状態でゆとり教育を導入し、10年後に「ゆとり教育は間違ってました」の結論。
教育界の発展のためにはいい勉強になったのかもしれませんが、その10年間に教育を受けた若者たちはただの犠牲者です。
その犠牲の上で得た教訓を、完全に忘れてませんか。
10年経って「アクティブラーニングは間違ってました」ってならないんですか?
確かに生徒の反応は変化する
アクティブラーニングを実践すると、確かに生徒の反応は変わるんです。授業に動きが出ますし、よく意見を交換しますし、目が活き活きしてます。
でも、「だからいい!」はあまりにも短絡的すぎますよね。
授業に動きが出ることは、良いことなんですか?それは何故ですか?
意見を交換することは、良いことなんですか?それは何故ですか?
目が活き活きするのは、良いことなんですか?うちの息子どもは宿題をするときは目が死んでますが、妖怪ウォッチのゲームをするときの目は活き活きしてます。でも、妖怪ウォッチで学力はつきませんし、立派な人間にはなりません。
生徒の反応が変化するからといって、それが本当にいい方向に変化しているかどうかは別問題ですよね。
生徒の声
3月まで授業で教えていた生徒と話す機会があったんです。
まあ、わたしとサシで話をしていたので、お世辞もたくさん含まれてるとは思いますが。
実践者の話
実は、実践している人の話を聞いたことがあります。
アクティブラーニングを実践して、従来型の授業と比べて生徒の学力の伸びを比較したところ、ほとんど差は見られなかったんだそうです。
つまり、従来型の授業でも、新しい取り組みでも、得られる成果は同じ。
成果が同じならば、新しいことをやった方がいい、というお話でした。
このお話に賛同する方は、アクティブラーニングをガンガン実践し、研究し、推し進めていくと良いと思います。
アクティブティーチングで頑張る
わたしはアクティブラーニングに関しては完全に後ろ向きです。
授業は教師の舞台です。わたしの授業で元気になる生徒がいるのなら、わたしは喋り続けます。演じ続けます。教え続けます。
アクティブラーニングは生徒がアクティブに学ぶ授業。
わたしはアクティブティーチングで頑張ります。教師がアクティブに教える授業。こんな従来型の授業でわたしは育ちましたし、間違ってないと思ってます。
みなさんはどう思われますか?