わたしの日常に価値はありますか?

エゴサーチしたら「押しつけがましい」って言われてました

エゴサーチ

「エゴサーチ」ってご存知ですか。

ネットで自分のことを調べることです。

自分の名前だったり、自分のハンドルネームだったり、自分が書いているブログのタイトルだったり。

エゴサーチ(英語: egosearching)とは、インターネット上で、自分の本名やハンドルネーム、運営しているサイト名やブログ名を検索エンジンを使って、自分自身の評価を確認する行為のことである。略してエゴサともいう。私・自分・自己を意味する、ラテン語由来のエゴ(ego)と、検索することを意味する英語のサーチ(search)とを合成した単語で、「自分検索」「自己検索」などの意である。「エゴサーチ」は和製英語ではなく英語由来の語であるが、英語では egosearching や egosurfing ともいう。

Wikipedia

わたしは、エゴサーチってよくやるんです。

自分の知らない間に、ウェブページで個人情報が書かれていたり、また、インターネット上で誹謗・中傷されている場合があり、それを発見するためにする場合もあるが、インターネット依存症の症例の一つともされる。

Wikipedia

いやいや、そんなんじゃないし。

このブログのタイトルは「わたしの日常に価値はありますか?」でしょ。

つまり、私の日常に価値があるかどうかを、読者のみなさんに質問してるんです。

その答えって、聞きたいじゃないですか。

このブログで情報を発信している理由は、わたしの考えたこと、伝えたいことなどを表現したいからなんです。

そして、その表現で伝えたいことが意のままに伝わっているかどうかを知りたいんです。

ですから、エゴサーチでこのブログのことが書いてあったりすると、小躍りして喜んでたりするんです。

たとえそれが誹謗中傷であったとしても。

「押しつけがましい」んだそうです

で、今朝エゴサーチしたんです。Twitterで。

そしたら、出てきたんですよ。

すっごい押し付けがましい。
学校の先生みたいだと思ったら学校の先生だった

はい、ありがとうございます。

押しつけがましい教員のヒロタです。はい。

これについて、怒ったとか、ムカついたとか、カチンときたとか、そんなのじゃなくて。

このブログへの評価として、自分が伝えたかったことがどのように伝わってるのかにすごく興味があって。

記事を検証

ということで、「押しつけがましい」という評価をいただいた記事を検証することにしました。

記事はこちら

わたしの手帳は相変わらず100均のA6ノートです。年の瀬で、来年の手帳を物色している方が多いかと思います。どんな手帳がお好みですか?マンスリーの予定が見開きで分かるとか、デイリーのページが一週間ごとに縦になっているとか、横になっているとか、メモのページが多いとか。・・・もうね。不毛すぎて付き合ってられない。やはり手帳は100均ノート今までに何度この記事を書いてきたんだろう。わたしの手帳は100均ショップのA6サイズのノートです。日付?書かれてませんよ。だって、自分で書くんだもん。ページ数?少ないっすよ。だ...
手帳に100均ノートを使うメリットを全力で考えてみた - わたしの日常に価値はありますか?

わたしの手帳は相変わらず100均のA6ノートです。

年の瀬で、来年の手帳を物色している方が多いかと思います。

どんな手帳がお好みですか?

この辺りは問題ないですよねぇ。

マンスリーの予定が見開きで分かるとか、

デイリーのページが一週間ごとに縦になっているとか、横になっているとか、

メモのページが多いとか。

・・・もうね。不毛すぎて付き合ってられない。

手帳の好みについて書いてます。

「不毛すぎて」の辺りでしょうか。

・・・もうね。不毛すぎて付き合ってられない。

このように様々な特徴がありますが、そういった面はあまり大きな問題ではないんですよ。お話ししましょう。

と書き直せば謙虚になりますかねぇ。

やはり手帳は100均ノート

今までに何度この記事を書いてきたんだろう。

わたしの手帳は100均ショップのA6サイズのノートです。

日付?書かれてませんよ。だって、自分で書くんだもん。

ページ数?少ないっすよ。だって1年間使う訳じゃないんだもん。

そのあたりが、全て「良いところ」なんです。

100均ノート手帳の特徴について書いてます。押しつけがましいでしょうか。

書き直しますね。

やはり手帳は100均ノート

いろんな意見があると思いますが、わたしは100均ノートを手帳にするのが一番だと思います。

今までに何度この記事を書いてきたんだろう。

これまでに何度かこのような記事を書かせていただきました。

う~ん、謙虚だ。

わたしの手帳は100均ショップのA6サイズのノートです。

これはいいですよね。

日付?書かれてませんよ。だって、自分で書くんだもん。

日付は書かれていません。自分で日付を書きます。書かせていただきます。

ページ数?少ないっすよ。だって1年間使う訳じゃないんだもん。

ページ数が市販の手帳と比較して少ないのですが、100均ノート手帳は1年間使うのが目的ではありませんので、わたしは不自由していません。

おお、とても謙虚だ。

・・・飽きてきました

いやあ、もう飽きちゃいました。

書き直した記事、読んでみて下さいよ。面白いですか?

少なくとも、わたしはこの文章を読んで「もっと読みたい」とか「100均ノート手帳を試してみたい」とは思わないですね。

ツイートに気になる文言

先ほどのツイート、気になる文言があるんです。

すっごい押し付けがましい。
学校の先生みたいだと思ったら学校の先生だった

「学校の先生みたいだと思った」ら「学校の先生だった」んだそうです。

つまり、この方にとって「押しつけがましい」「学校の先生」ってこと。

押しつけがましいことを悪いことだと思わない

わたしは学校の教員をしています。

学校の教員って、押しつけてなんぼでしょ。「自由」「自主」「自律」どこの国の言葉でしょうか。

最近は「自ら主体的に学びに向かう姿勢」とか「自分で課題を発見し、解決する」とかいう教育が大事だなんてたわごとが言われてます。

でもね。全く何もない状態から子どもが自分から主体的に学びに向かうなんて、ただのおとぎ話ですよ。

ある程度の強制があるから、今の日本の識字率の高さがあるんです。

掛け算の九九を小学2年生で強制的に覚えさせるから、みんなちゃんと掛け算ができるようになるんです。

テーブルの上にゲームと筆箱を置いておいたら、100人のうち90人以上はゲームを手にすると思いますよ。

大げさだなんて言わせない。筆箱を手にする子どもが少数派であることは紛れもない事実だ。

「主体的に学びに向かわせる」ために「押しつけ」を止めてしまったら、筆箱を手にする少数の子どもだけが賢くなっていくんでしょうね。

一部のエリートを育てるために、その他大勢の凡人を切り捨てるような教育には賛成できない。

「押しつけ」は悪ではないと確信しています。

高校時代

わたしは学生時代、決して勉学に対して熱心な人ではありませんでした。

国語の古文で、文法や単語を覚えなければ絶対に読めるようになりませんよね。

わたしがそのことに気付いたのって、大学入試が終わった後だったんです。

古文の単語や文法を「覚えなきゃならない」ということをまったく認識してなかった。

化学の有機の分野で、これまた「覚えなきゃならない」ということをまったく認識してなくて、考えれば答えが出るものだと思っていました。

覚えてないこと、知らないことをどんなに考えても、答えが出てくるはずがないですよね。

これらのことを「覚えろ!」と強制されていたら、押し付けられていたら、少しは国語や化学の成績が違ったのかもしれません。

カッコ悪い言い訳してますが。でも、本心です。

数学の授業

わたしは高校で数学を教えています。

数学は他の教科に比べると覚えることが少ないのですが、でも全く覚えなくていいわけではありません。

生徒
先生、これは覚えなきゃならないんですか?

こう聞いてくる生徒は毎年数多くいます。

例外なく数学が苦手な子です。もしくは数学が得意だと勘違いしている子です。

かく言うわたしも勘違いしてましたから。

なまじっか数学が少し得意だったので、公式なんて使うときに自分で作ればいい、と思っていました。

実際に作ってました。そうやって問題を解いていました。

若いころは、生徒にもそうやって指導をしていました。

でも、ある日気付いたんです。生徒には「覚えずに作れ」と指導している公式を、実はわたしは「覚えている」ということに。

わたしは数学が好きで、数学で飯を食っているという立場。生徒の中には数学が好きではなく、できればやりたくないという子もいるんです。

そんな差があって、わたしとその生徒が同じ温度で数学に取り組むはずがありません。

わたしが「覚えろ」と言わなければ、わたしが「このやり方でやれ」と言わなければ、わたしが「この問題をやってこい」と言わなければ、数学ができる喜びを味わえない子が間違いなくいるんです。

生徒
先生、これは覚えなきゃならないんですか?
わたし
いろんな考え方があるかと思いますが、わたしは覚えた方がいいと思います。最終的な判断は、みなさんにお任せいたします。

・・・誰が覚えるもんか。

生徒は教師を選べない

もちろん、わたしの授業を受けて今回ツイートした方のように「押しつけがましい」と感じている生徒もいるでしょう。

ていうか、います。

かわいそうなのは、生徒は先生を選べないんですね。まあ、先生の方も生徒を選べないんですが。

だから、「合わない」先生に当たってしまうと、それはかなりの不幸なんですよね。

しかし、わたしの「押しつけがましい」授業を望んでいる生徒もいるんです。

生徒が先生を選んでいいというシステムになったとき、わたしの授業を望む生徒がたくさん集まってくれるという自負はありますよ。

押しつけられないと勉強できない子は間違いなくいるんです。押しつけられることを望んでいる子は間違いなくいるんです。

わたしはそのニーズに応える。

ブログだってそうだ

わたしは学校の教員として「こうだ」と確信したことを子どもたちに押しつける行動を繰り返し、今日に至っています。

わたしの教え方がバチッとはまる生徒ばかりではない。

当たり障りのない、教科書に書いてあることをなぞるだけの無難な授業をして、誰が聞いても「ふ~ん」と思うだけのような授業は、はっきり言って「つまらない」。わたしはしたくない。

ブログだってそうだ。わたしが思ったこと、伝えたいことを、読者に押しつけるような物言いになっているのかもしれません。それについて、全く悪いと思ってないし、それがわたしのカラーだと思ってます。

そして、わたしの伝え方がバチッとはまる読者ばかりではない。

当たり障りのない、誰も不快に思わないような、かといって誰も喜ばないような無難な記事を書いて、誰がよんでも「ふ~ん」とも思わないような記事。はっきり言って「つまらない」。そんなブログなら書かない方がいい。

いいネタになりました

今回ツイートしてくださった方、本当にありがとうございました。

皮肉や嫌味ではなく、本当にありがとう。いいネタになりました。

最近記事を書くのをサボってましたが、なんだかスイッチが入りました。

また頑張って書いていこうと思います。どうぞ、押しつけられに来てくださいませ。

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