数学は日常生活の役には立ちません! 数学教師が言うんだから間違いない(後編)
前編の続きです。
サイエンスの研究に数学は不可欠
日常生活の役には立たない数学ですが、自然科学の研究に数学は欠かすことのできないものです。
物理学で、いろいろな現象を説明するときに、数学が発展させた数式の表現を用いずにわかりやすく説明するのは、おそらく不可能でしょう。経済学においても、計算なしに経済の研究を行うことは不可能ですし、計算の方法や技術を発展させてきたのは数学です。
数学はサイエンスにおいて、言わば「言語」の役割を果たしていると言えるでしょう。
なぜ数学を勉強するのか
サイエンスの言語として活躍している数学ですが、やはり日常生活においてはほとんど役に立っていません。そんな役に立たないことを、なぜ勉強するのでしょうか。専門家だけがやればいいのではないか。そんな声が中学生、高校生から聞こえてきます。
思考法が優れている
数学が学校教育に入っている最大の理由は「論理的思考力」を鍛えるためでしょう。筋道を立てて物事を考え、筋の通った議論ができることは大切なスキルです。論理的思考力を鍛えるために、数学は最適なツールだと言えるでしょう。
ジャイアン「おう、のび太。ちょっとこっちに来いよ。」
のび太「なんだよ、ジャイアン。」
ジャイアン「珍しいもの、見せてやるよ。この50円玉は、表の模様が裏に、裏の模様が表についてる珍しい50円だ。」
のび太「それはおかしいよ。そもそも50円玉の両面に模様がつけられる前に表や裏が決まっているのではなく、模様がついた後に表の模様のほうが表、裏の模様の方を裏、と定義するんだから。」
ジャイアン「なんだと!のび太のくせに生意気な!」
・・・これですよ。これ。でたらめな理屈を並べられたのを、正しい理屈で反論したところ、「のび太のくせに生意気な」という訳の分からない感情論です。
感情論に負けない思考を身に付ける必要があります。そのトレーニングのために、数学は最適なツールと成り得るでしょう。
何よりも楽しい
数学を勉強する理由は、何よりも楽しいからでしょう。
現在、地球の支配者は間違いなく人間です。人間はその好奇心で地球を支配しました。分からないものに対して「何故だろう」「どうして」「知りたい」という気持ちが、人間を人間にしました。
数学は、一つの問題に対して曖昧な答えがありません。正解か、正解でないか。誰の目にも明らかに、はっきりと不正解が不正解であると分かるのも数学の魅力でしょう。
「こうなるのではないか」と予想を立て、その予想が完璧に証明できたときの達成感。充実感。爽快感。味わうとやみつきになります。
吉田松陰は、人が学ぶことについて「学は人たる所以を学ぶ也」と言いました。学ぶことを楽しいと感じなくなったら、それは人として健やかな状態ではありません。
私は数学を「生み出す」ような才能はありません。でも、数学を「楽しむ」気持ちは持っているつもりです。自分が学ぶことについても、生徒に教えることについてもです。
数学って、楽しいんです。役に立つとか、立たないとか、そんなことはどうでもいい。楽しいんです。