「分かる授業」で生徒は「できなく」なるんです
分かる授業をすると、生徒はできなくなります。
分かる授業
高校の教員をしています。数学を教えています。
数学って教科は、得意な子と苦手な子、好きな子と嫌いな子がはっきりと分かれる教科なんです。
数学が嫌いな子、数学が苦手な子にとって、数学独自の考え方ってすごくハードルが高かったりするんですね。
それを理解させるために、できるだけ分かりやすく、できるだけ身の回りにある具体例で、なんとか分からせようと説明をしてきました。
他の先生が教えても分からないところを、わたしが説明して分からせることがプライドでした。
分かる授業を展開せよ
朝礼や職員会議での連絡では、文科省からの通達や、県教育委員会からの通達で、分かる授業を展開し、生徒の理解を深めさせるようにと何度も言われました。
もちろん、それが当たり前だと思っていましたし、自分は実践しているという自信もありました。
でもね。それって完全に間違いなんです。自身を持って言えます。
分かる授業をしてはいけない
分かる授業をしてはいけないんです。理由はいくつかあります。
生徒が勉強しなくなる
生徒が全く予習をせずに授業に臨んだとします。
その授業で、わたしが絶妙のトークと卓越した技術をもって、予習せずに授業に出た生徒に完璧に理解させたとします。
その生徒、その後どうなるでしょうね。
当然こうなりますよ。予習なんかして来なくなります。
「分かる」と「できる」は違う
授業で完璧に理解した生徒、いや、理解した気になった生徒は、その内容を深く勉強するでしょうか。
これも、当然こうなりますよ。「分かった」と思っているところを、自分から進んで復習するような心の強い生徒ばかりではありません。
むしろ、易きに流れる心の弱い人間が大多数ですよ。わたしも含めて。
つまり、分かる授業をすることで、復習もしなくなるんです。
そして、実際に問題を解かせると、当然解けない。当たり前です。練習していないんだから。
分かるとできるは違うんです。
「分からない」ということを分からせる
全くわからない授業を受けて、チンプンカンプンで終わってしまうと、それはやる気も沸かないでしょう。
「分からない授業」をするのではないんです。「分からない」「できない」ということをはっきりと認識させる授業をしなきゃならないんです。
わたしは教員です。教えて飯を食っている。わざと分からないように教えるなんて、それはできません。
できる限り雑な授業
わたしが心がけているのは「できる限り雑な授業」をすることです。
雑に、大雑把に、ツッコミどころ満載の授業をします。
当然、聞いている生徒には「はぁ?」「なんで?」「もっと詳しく!」という疑問が湧きます。残ります。
これで、生徒に自分で考えるチャンスを与えることができるじゃないですか。
分かってる子が、分かっていない子に教えるというチャンスを与えることができます。教えた子はさらに理解が深まります。
オウム返し
生徒が質問してきます。
簡単には教えません。
どうですか。すごくイヤな先生でしょ(笑)。でも、こんな感じですよ。
これで嫌気が差して、生徒が来なくなっちゃったら逆効果なんですが、今のところ生徒も食らいついてきてます(^^)v。
このとき、その生徒の質問の問題を全く読んでもいないことすらあるんです。まあ、雑なこと。
でも、このことから分かるように、簡単に答えを与えるのではなく、考えるチャンスを与えることって大事なんですよね。
簡単に教えてもらった答えは、簡単に忘れます。自分の力で解決した問題は、絶対に忘れません。もし忘れても、もう一度作り直せます。
分かる授業は「甘やかし」
もちろん対象者によってそのレベルは変わりますが、確実に言えることは、「分かる授業」は単なる「甘やかし」に過ぎないということです。
全てを分からせてしまっては、生徒の伸び代を潰してしまいます。
分かる授業で生徒はできなくなるんです。これがわたしの持論です。
みなさん、どう思われますか?